ミャンマーでのビジネスは難し過ぎるとして、外国人ビジネスマンが続々とミャンマーを去る中、
平成元年からヤンゴンに住み、KYOKUYOエンタープライズという商社を営んでいる石塚洋介氏(58歳)は、ヤンゴンで野菜栽培ビジネスを始めようとしたことがあった。
ヤンゴンの市場では、白菜、キャベツ、ほうれん草、春菊、ネギ、玉ネギ、大根、人参、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、胡瓜、ナス、オクラなど野菜は豊富だが、すべての野菜は、ヤンゴンから遠い地方から運ばれてきたもので、ヤンゴン郊外の田畑で収穫されたものではない。ヤンゴン市は一年中温暖で、雨季、涼季もある。そこで石塚氏は、種を蒔く時期を工夫すれば、ヤンゴンでも野菜が収穫できるのではないか、やるのなら日本の野菜栽培にチャレンジしようと考えた。
まず日本から野菜の種を取り寄せ、試験栽培に適した土地を探したが、ヤンゴン市近郊で野菜が作れるような肥沃な土地はほとんどなかった。石塚さんは、ヤンゴンでは野菜を作らないのではなく、作れないのだということを理解した。やっとのことで、空港近くにやっと農耕に適した土地を見つけたが遠過ぎた。そこで自宅の庭を使って試験栽培することにした。まず腐養土を買って畝を二つ作った。苗床は別に作った。二、三ケ月で収穫できる野菜が白菜であることを知り、早太郎という種類の種を蒔いた。そしてたった二日間で発芽した。
この白菜の苗は順調に育って、本葉が二、三枚ついたとき、畝に植え直した。苗の根を痛めないように日没時を選び、、しかも苗床の土をなるべく多くつけ、一本、一本を注意深く植えた。家の門番から、日本人が百姓のまねをしてといった感じでニヤニヤと見ていた。
だがある早朝、寝巻のまま、白菜の様子を見に行き、畝を見て思わず立ちつくした。白菜の苗が、根元から見るも無残に、何者かに食いちぎられている。すぐに門番を呼び付けたが、彼はまったく知らない分からないと言う。石塚さんは鳥の仕業かとも考えたが鳥の足跡はない。他の動物が食べた形跡もなかったが、畝の間に、乾季に珍しく、カツツムリが数匹転がっていたのを石塚さんは覚えている。
苗を食いちぎったのは猫かも知れないと言う者もいた。しかし猫が草の葉を食べる時は、食べた物を吐く時だけだし、白菜の苗など食べないだろう。原因が分からないまま夕方になり、やっと気を取り直して白菜の苗を植え替えた。次の朝、まだ暗いうちに見に行った。
白菜を植えた畝に近づいたとき、足元でグシャッという音がした。朝もやの中で目を凝らして足元を見ると、踏みつけたのはカタツムリだった。そして畝を見ると、今朝も5-6本の苗が食いちぎられており、その原因をあれこれ考えたが分からなかった。
その夕方、もう一度苗を植え直し、門番に夜中に見回ってくれるように頼んでから床についた石塚さんだが、次の日、恐る恐る苗を見に行って白菜が無事であることを知ってほっとした。そこに門番がやって来て、得意そうに説明を始めた。
「昨夜八時半と十時半に見回りをした時に、白菜に近づくカツツムリを見つけたので退治しました」という。
カツツムリが野菜畑を食い荒らしたなどという話しを聞いたことがない石塚氏だが、苗を食い荒らした犯人に間違い無かった。乾いていると活動しないカツツムリだが、白菜の苗のために撒水していたため、行動を始めたのだ。
この日から三日間、多くのカタツムリを門番が処理してくれたため、白菜は成長していったのだが、収穫はできなかった。白菜を植えた畝の幅が狭過ぎるために保水性が悪く、朝夕の撒水だけでは水不足が生じたのだ。せっかく玉になりかけた白菜の葉が、夕方に広がってしまい、外側から葉が腐ってしまったのだ。
フラワービジネスを計画したこともあった。ヤンゴンの赤い粘土質の土は鍬(くわ)すら跳ね返し、花畑作りは大変だった。日本人客にもらった花の種セットの土産がこのキッカケだった。植物好きの石塚さんは、さっそくこの種を蒔いたところ、早くも三日後に芽が出た。このブレンドの種からは、日本では気候に合わせたの花が咲くはずであった。だが暑いミャンマーでは、どれも一斉に発芽した。石塚氏はどんな花が咲くのだろうかと楽しみで、仕事に出かける前の観察が日課となったが、苗が大きくならないうちに雨季が到来しスコールに打ちひしがれて全滅した。
石塚さんが花栽培をようやく忘れかけていたある日、外出先から帰ると、「社長、日本の花が庭に咲いています」と社員のティエンゾーさんが興奮して待ち構えていた。夕暮れ時の小雨が降るの中、キンセンカが一つ咲いたのだ。異国の苛酷な気象条件や自然環境に負けずに、元気よく咲いたキンセンカに嬉しさはひとしおだった。
「自分もこのキンセンカのようにミャンマーに根を下ろして、逞しく生き抜きたい」
そこでキンセンカに限ってはフラワービジネスを再開する決心をした。しかし今度は、まず苗床で苗を育て、大きくなってから鉢植えしようと考えた。腐養土は、かつてヤンゴンの生ゴミが捨てられた山を探し出し、そこで有機肥料になった土を運びこの土に川砂を混ぜて、水はけが良い苗床を作った。朝夕の撒水も、人まかせにせず、自分で納得する撒きかたをした。すると四日目の朝に発芽、若草色の小さな芽が無数に出たのを見た時には、石塚さんにはやった、という満足感がこみ上げた。
石塚さんは液肥を探して歩いたが売られておらず、しかたなく普通の肥料を買い、それを水に溶かして液肥にした。石塚さんは、毎日飲んでいる健康茶も薄めてキンセンカの苗に撒くほどだった。ところがある朝、苗床に水をやろうと思って外に出て見ると、苗床の真ん中に大きな穴があいて、キンセンカの苗はことごとくなぎ倒されていたが、苗床に「犯人」がもぐり込んだ跡はなかった。
だが翌朝、石塚さんは犯人を見付けた。苗床に穴をあけた犯人は、こんどは大きな蛙だった。
蛙の来襲をきっかけとして間引きした。そして植木鉢に植え替えて一ケ月後、茎も太くなって小さな蕾がつき始めた。近く花が咲くことを確信した石塚さんは、ヤンゴン日本人会員向けに、鉢植えキンセンカを販売するとチラシを作って郵送したが、注文をくれた日本人いなかった。
ようやくキンセンカの花が咲いたが、それは小さく美しくもなかった。茎の脇から枝が伸び、中には茎が横に倒れているものもあった。「もしも日本人会から多くの注文を取った後だったなら大恥じをかくところでした」と石塚さんは思った。
ミャンマーの暑季は摂氏四〇度もあり、暑さで日本から来た花の種がおかしくなったのではないだろうか、人間でも音を上げ怠け者になるミャンマーの暑さで、花の行儀も悪くなるのはあたりまえかも知れないと石塚さんは考えた。
そして「おまえ達、お嫁に行かなくて良かった」とキンセンカに話しかけた。
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