マカオ
 
 香港から高速フェリーで1時間弱のマカオ(MACAU)は、1997年の香港の中国返還に続き99年12月に返還され、2004年12月20日で返還5周年を祝った。さらに45年間は資本主義で中国と『1国2制度』を続ける方針。
 中国の胡錦涛(フーチンタオ)国家主席は同日、初めてマカオを訪問し中国広東省など南西部と香港との一体化を訴えた。

半島部とタイパ、コロアネ島からなり約20平方キロと香港の5分の1程度の広さ。人口約50万人(ほとんどが中国系でポルトガル人も住んでいる)の多くは半島部に住んでいる。タイパ、コロアネ島の間は、すでに埋め立てられ、一つの島になった。珠海へ続くゲートでは広東省方面からやってきた中国人団体でいっぱい。

マカオから簡単に中国広東省の珠海に入れる。日本人はノービザで入国できる。
 ポルトガルは1960年代からに70年代にかけて、何度もマカオを返還したいと中国側に申し入れたのだが、中国が文化大革命を進めていたことにも関連して、マカオの治安などの維持に自信を失ったための返還要請だったので、中国側はこの申し入れを無視、引き延ばしした。嫌々ながら英国が香港の中国返還のケースとマカオはその経緯を大きく異にしている。

 年間800万人もの観光客がマカオを訪問しているが、ほとんど香港人。香港で数百ドルもするようなホテルはマカオではその半額以下で宿泊できる。カジノで有名な場所であるが、97年頃は利権にからんだ抗争が激化した。マカオは公共収入の半分は9カ所のカジノから得ているが、返還後に抗争は無くなった。

生き残るヤオハン
 
1992年12月、旧ヤオハンは21億円投資した大型デパートをマカオにオープンした。ヤオハンは倒産したが、ここマカオでは「NEW ヤオハン」として好調で賑わっている。

 マカオの初代行政長官に就任した何厚金華氏が経済活性化を進めているが、失業者のデモも相次いでいる。観光だけではなく製造業も育成したい方針だが、工業団地では進出企業は数社しか見当たらなかった。岩ばかりで地盤は良さそうだが、埋立地に建設された高層アパートなどでは地盤沈下が目立つのでこの工業団地も問題がありそうだ。

コロアネ島の工業団地では、日東紡績がハイテク素材であるグラスファイバー・クロスなどを生産している。ローテク生産が多かったマカオで初のハイテク製品の製造である」と喜んでいる。日東紡績はかねてマカオに隣接している中国の経済特区である珠海に工場進出していたが、新工場をこのマカオに稼動させたもの。「原料の入手も楽なマカオを投資先として1996年からマカオ進出を検討したった1年で稼動した。15%の法人税も半額にしてもらった」と満足している。マカオは工業投資に対して、マカオ半島部、タイパ島、コロアネ島に分けて10-20年間の各種税金の減免制度も完備させている。

1995年末にマカオ初の空港であるマカオ国際空港がタイパ島に、コロアネ島にはコンテナターミナルと工業団地が新設された。土地付き平屋の工場用地の他、狭いマカオだけに香港のようなビルが工場の工場アパート形式も用意している。マカオテレコム(CTM)が最新のデジタル交換機を導入したなど通信面のインフラも向上させている。人材の育成ではマカオ大学で経営、教育、化学などの専門コースが設置されてビジネスリーダーの養成に力を注いでいる。他にマカオには学校が116校あり国連の援助と中国、ポルトガルの援助で設立されたソフトウエア国際工科大学(JIST)もある。このようにインフラ整備が進んだため、外国から製造業を誘致する環境が整ったとしている。火力発電所がコロアネ島にありほとんどの電気を自給しているが一部中国から購入しているため中国より高い電気料で香港とほぼ同じ。コロアネ島にはゴルフ場付きリゾートホテルもある。

香港とライバル意識もあるマカオの投資誘致だが、マカオの投資環境が香港以上である根拠は

1)米ドルとリンクしている香港ドルとマカオ通貨のパタカは100香港ドルが103パタカなどと固定。

2)所得税10-15%と香港より低い

3)マカオの法制度の方が日本の法に近い

4)香港の半分である月500米ドル程度と安いこと

5)高層マンションや工場アパートのリース料も香港より安い

ポルトガルの置き土産 「澳門博物館」
 
 ポルトガルが1999年にマカオを中国に返還することを決めた頃、ポルトガルはマカオにアジア最大の大学を新設して置き土産にするなどの計画を発表していたが、これは実現しなかった。マカオ最大の見世物であるイエズス会の聖ポール教会横の砲台跡に1998年4月18日に正式開業した澳門博物館がある入場券(15香港ドル)の入場者番号には182,925とあった。
すでに20万近い人が訪問しているようだ。かつては砲台は無料で行けたが今では澳門博物館内の展示室を3階ほど上階へ上って外に出るとこの砲台跡に行くことができる設計になっている。砲台からはマカオ市内が一望できるが、説明書によると、砲台は1617年に建設が開始され1626年に完成したという。初代のマカオ総督は1623年に着任している。
(アジアジャーナリスト・ 松田 健)
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