ラオス
 
初のASEAN(東南アジア諸国連合)サミットが開かれたビエンチャンの最新写真
 
  
ラオス最大のホテルがサミットに合わせて完成。東南アジアの各大臣が宿泊した。ビエンチャンでは韓国と中国の合弁事業が目立っている。(写真右端は中国との合弁銀行)
 
今年は11月27日の夜が満月↑ラオス仏教の総本山であるビエンチャンのタート・ルアン寺では毎年11月の満月の夜を中心に1週間ほどのお祭りが開かれてきたが、今年はASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会議開催のために警備上から中止された。サミット期間は外国人観光客はラオスに入国できない。すでに、普段はラオスの警官は拳銃や銃をもたないが今は持って警備している。 
   
ラオス国立大学での『バッシー』風景。日本人の「シニアー海外ボランティア」の歓送迎会が開かれていた。祈祷師を招き、心がこもった式であり感動した
 
ラオスのゴルフはワンラウンド(18ホール)10ドル
ラオスの秘境ウドンサイの道路の上で牛を解体していた
 ラオスはチンタナカンマイ(新思考)と呼ぶ経済開放政策を八六年十一月の人民革命党第四回党大会で決めているが市場経済に向けた経済活性化はまったく進まず、外国からの援助頼りが続いている。長期経済低迷に伴って、ラオス通貨のキップが暴落している。一米ドルが七千五百キップ。一千バーツが二十万キップ、二十五バーツが五千キップだが何年か前には二十五バーツが一千キップ弱だったからバーツに比較しても五分の一に暴落した。

 九一年末にソ連邦が崩壊したため、それまで頼っていた旧ソ連からの援助がストップしたが、今月十一月には江沢民国家主席が国賓として初めてラオスを訪問、カムタイ大統領、シサバス首相らに無利子援助を約束した。

 ラオスは東南アジア諸国連合(ASEAN)に九七年に加入したものの、ラオスの電化率は三割程度の極貧国。日本などが援助した二カ所発電所の半分の電力がタイに輸出されており、これがラオス最大の外貨収入である。ビエンチャンから東北六十五キロほどのナム・ルック川にも、アジア開発銀行と日本のOECFローンで「ナム・ルック・ダム」が完成、2000年6月から六十MWを出力、従来のナム・グム・ダムとの合計の半分の電力がタイに輸出されている。ラオスには水力だけで数万メガワットも潜在電力資源があるといわれる。

 ラオス首相府大臣であるブンティエン・ピサマイ大臣は、「オーストラリアが金鉱山で調査している。農産品加工の投資もある。リグナイトのコンセッションでも外資と話しあっている。ナムグムダムは四百メガワットに日本も入っている。JICA(国際協力事業団)ではEPZをサーベイしてもらっている。さらに多くのダムを援助してもらいたい」と希望している。これまでのタイだけではなくベトナムにも電気を売る計画もある

ラオスのアンコールワットワット・プー(VAT PHOU)訪問
 
 ラオス南部のラオス第二の都市であるパクセから南へ約50キロにワット・プー(VAT PHOU)がある。このヒンドゥー寺院は2001年に国連から世界遺産として登録されたパクセからメコン川を渡りさらに十七キロ行く。ドラム缶で浮かばせる筏(いかだ)にオートバイや車やトラックまで乗せてメコンを渡る。「プー」とは「山」の意味で小高い山の麓から中腹にかけて遺跡が残されている。5世紀にクメール人が造った古代ヒンドゥー寺院。修復作業などはまったく行われているようには見受けられず、荒れるがままといった状態にある。タイ東北部のウボンラチャタニからだとラオスに入国してすぐのところにこのワット・プーがある。
タイ、ラオスの大学、JICAの三者協力プログラム
 
 インドシナ半島の中央部に位置するラオスは、中国、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、タイという五つの国に囲まれ、海には面していない人口約五百万の小国である。正式国名はラオス人民民主共和国(LAOPDR)で、七五年十二月にパテト・ラオ(ラオス愛国戦線)が国王を追放して建国した。東南アジアではベトナムと並ぶ社会主義国である。チンタナカンマイ(新思考)と呼ぶ経済開放政策を八六年十一月の人民革命党第四回党大会で決めた。九一年末にソ連邦が崩壊、旧ソ連からの援助がストップした。だが、日本などが援助した発電所からの電力をタイに輸出するのが最大の外貨収入であるなど、現在もほとんどを経済援助に頼っている。九七年から九八年にかけて一米ドル一千だった通貨のキップが一万キップ弱に暴落したが九九年九月から現在までは一ドル七千五百キップで落ち着いている。

 米ドルに直すと公務員で月十三米ドル、大学学長で月二十米ドル程度。こんな給与ではラーメン二十杯かビール十七本、ガソリン五十リットルしか購入できないにもかかわらず、国民は平然としており、街は落ち着いている。東南アジア諸国連合(ASEAN)に九七年に加入したが、国際会議に英語で出席できる人材も少ないので、年数百回開かれるASEANの会議参加も大変なようだ。

 一九九五年六月、ラオス政府は教育面に注力する一環として、アジア開発銀行の大学改革計画に沿ったラオス国立大学を創立することを決めた。従来からの三つの大学と八つの高等教育機関が統合されて一年後の九六年十月から最初の年度がスタートした。現在ラオス国立大学には一万一千人の学生がおり、最も多い工学部には現在約三千五百人が学んでいる。

 工学部の前身は、高等電子技術学校で、一九七七年に日本の無償援助約三億円で開校され、九三年度には六億三千九百万円の追加無償援助で教育設備の追加が行われている。また、保健省傘下の医科大学がラオス国立大学医学部に、法務省傘下の高等法律学校が同法学部になった。

 
JICAの池田進氏が仕掛け人
 JICA(国際協力事業団)専門家として七七年に開校された高等電子技術学校に関わり、その後もほとんどビエンチャンにJICA専門家として駐在している池田進さんという人がいる。同氏は、ラオス国立大学工学建築学部のソムコット学部長に対し、ラオスとタイのJICA、そしてかつて日本の援助でできたタイのモンクット王工科大学(KMIT)と組んでラオスで人材育成のプロジェクトをしてはどうかとアドバイスした。そして、池田進さんとソムコット学部長は九七年十一月にバンコクのモンクット王工科大学ラカバン校(KMITL)を訪問したところ、KMITLのプラキット工学部長(当時)や同コンピュータエンジニアリング部長のウィボン氏らから、「是非協力しましょう」と前向きの約束を得た。

 そして九八年九月にラオス国立大学(NUOL)とKMITLは覚書に調印、そこで九八年十一月に「ラオス人教員の育成予算」をJICAに申請している。そして九九年六月にはタイとラオスのJICA(国際協力事業団)も同席して三者による教育事業がスタートした。

 日本人講師をラオスに多数派遣するのはコストがかさむが、隣国のタイからタイ人の講師ならコストが安くすむ。また、タイ語で授業をしてラオス人は九八%以上を理解するという。

 九九年六月十日、ラオス国立大学とKMITL、タイとラオスのJICAという四者による覚書では、一カ月か四週間の集中講義をする中期(半年間)教員を二人派遣する他、短期で年に十六人、すべてタイ人教員を派遣する。その一人であるソムサック助教授をラオス国立大学内に訪ねた。ソムサックさんは現在四十歳。ハジャイ出身でKMITLから英国ロンドンに留学した。九九年三月から八月までラオス国立大学に滞在、二〇〇〇年の現在は二回目の滞在中。

 「JICAの人づくりプロジェクトに参加できていることを誇りに思っています。私はエレクトロニクスを担当し、もう一人のタイ人の先生がコンピューターについて教えています。十二人の二十二歳前後のラオス人が生徒です。タイ語の方が難しいので、ラオス語で答えてもらいます。タイとラオスは文化も近く、何事も理解しやすいと思います。いずれにしても英語で授業を行うよりはよほど楽に技術指導が進んでいると思います」とソムサック助教授。

 九九年十一月二十五日にはラオス国立大学で三者から二十余人が参加して初の合同会議を開き、今後の進め方なども議論した。ラオス国立大学工学建築学部のソムコット学部長はモンクット王工科大学(KMIT)のラカバン校の電子工学部学部長(助教授)タウィル氏らが、ラオスの近代化に寄与する重要なプロジェクトであるとの認識で一致した他、JICAの資金支援に対して感謝した。

 二〇〇〇年一月には故小渕前首相もここを訪問、市場経済開放支援や人材育成支援について約束しているが、今後のこのプログラムの進展に期待したい。

タイのバンコクからラオスまで汽車の旅
 
 一度乗ってみようと考えていた、タイのバンコクのファランポン中央駅からラオス国境のノンカイまで、夜汽車に乗った。何度もノンカイに行っているがすべてタイ東北部のウドンタニまで国内航空機で行き、そこから1時間程のバスに乗っていた。

 バンコク中央駅では、近年、ケンタッキーなどのファーストフード店も多数開店し、明るいムードである。列車のキップを買おうとしていると、タイ国鉄の身分証明書を胸につけた案内係りが飛んできて、どの窓口でキップを買うのかといったことを教えてくれる。英語もOKで、外国人の観光旅行者の世話が仕事なのだという。

 私は1等寝台を1,500バーツ(4,000円程)で購入したが、個室内をとった写真まで見せてくれ、「1人で乗っても、2人でも同じ値段です。ガールフレンドを連れてきたらどうか」といわれた。どういうことなのでしょう???

 さて、列車に乗り込んで見ると廊下は狭く、人がすれ違うのも難しいほど。個室は身長180センチの私の足が伸ばせる。ベッドは2メートルの長さがある。1等寝台車は韓国の現代グループの製造で「HYUNDAI1006」という金属製のラベルが天井近くに貼ってある。トイレは一見普通だが、用がすんでボタンを押すと航空機のようにシューという音で吸い込んでしまう日本の新幹線よりハイテク?

 30分以上も出発が遅れたのに何の案内もないまま、汽車はゆっくりとホームを離れた。遅れた理由を女性の車掌さんに聞いてみたが、なぜそのような質問をするのかと不思議そうにで「いつもこんな感じ」という。1等寝台に男女が1人づつ、計2人の車掌が乗っている。

 出発してすぐ、王宮前を通過。日本の原宿駅と同じようにだれもいない駅を通過したがチトラダ宮殿の正面近くだからおそらく王様が汽車に乗る時に使われる駅なのだろう。

 バンコクの空港まで1時間程。さらにアユタヤまで時速十キロ、歩くより少し速い程度のスピードで進むので実にいらいらした。だが、アユタヤを過ぎると時速百程へとスピードアップした。

 十二時間の汽車の長旅で考えごとでも楽しもうと思っていたが、いつの間にか寝てしまっており目覚めるともうウドンタニ。降りる用意を始めることになった。終点のターミナルであるノンカイが近づくとどこから乗ってきたのか、地元の三輪車トゥクトゥクの運転手が国境まで四十バーツで連れていくという。まあいいかと乗り込んだこのトゥクトゥクが私を連れて行ったのは国境ゲートは見えるがその近くのわけのわからないビル。「ここでビザを取得しなくてはラオスには入れない。二千八百バーツ」と雲助ぶりを発揮し出した。

 「バカ言っちゃいけない。ビザ代はラオス入国時に三十米ドルと支払えば取得できることはちゃんと知ってるんだぜ。今年だけでもラオスに行くのは二度目なんだぜ!嘘つきめ」と怒鳴ってあげたら、この雲助ウンちゃんは急におとなしくなった。しかしこんなウソをあくまで押し通そうとして「制度が変わった」と言い張る。

 そこで私は携帯電話をカバンから取り出して、ビエンチャンに電話、三十ドルであることを確認するフリをした。やっとこの運ちゃんは諦め、朝から儲からない変は客に捕まったとぼやいていた。国境についたら十バーツ多い五十バーツをやろうと思って同紙幣を用意していたのだけど、約束した四十バーツしかあげなかった。

 女性の一人旅でも危険は少なそうだが、四千円ほどでリッチな気分になれると一等車に乗るのは止めた方が無難である。二等寝台は確かに狭いが、乗客も多数乗っているため、何かあった場合の安全性が高いと思う。それに断然安い。

 そして国境ゲートまで歩いて数分、10バーツの乗合バスで橋を渡ってラオスに入国した。このバスは人が集まるまで出発しない。その時間が待てないのなら、150バーツを出してバスをチャーターすることも可能である。

ラオスで人気のホムヤー
 
 蒸し風呂では薬草の匂いが特徴である「ホム・ヤー」について、私はこれまで「薬の部屋」のことだと考えていた。だが今回、ラオス人の友人が部屋の「ホン」ではなく、蒸すという意味の「ホム」だと教えてくれた。

 バンコクのような娯楽に少ないラオスでは、以前にも蒸し風呂に入ったことがある。今回も朝からやっているホムヤーに何度か出かけた。ビエンチャンにはだいたい十件ほどのホムヤーがあるがほとんどはラオスのその土地の人が楽しむ場所で外国人は少ない。外国人も見かけるかなり上等のところでもここがお風呂と思えないほど質素できれいではないホムヤーでも入場料はだいたい四千キップほどである。

 蒸し風呂の中は真っ暗で何も見えないところが多いが、ビエンチャンの日本大使公邸近くの住宅街の中にある「龍廟健康中心」(電話312628)はかなり清潔で、広々とした敷地には体を冷やすため、ホテルのプールサイドと同じような長いすが多数置かれている(写真)。

 この店ではマッサージのサービスもあり、ここで売春が行われていたとして近年、手入れを受けたこともあるようだ。だが、現在ではかなり健全である。西洋女性も数グループが来ていた。他の蒸し風呂では内部が真っ暗なのと異なって、この店では部屋の内部に蛍光灯があるので内部の様子がよく見える。着替えロッカーなどは男女の区別はないが、他の店と比べるとかなり上等である。

(アジアジャーナリスト・ 松田 健)
URL http://www.ne.jp/asahi/asia/halohalo/
E-mail mazda@k.email.ne.jp