インドネシア
 
   
バタム島(シンガポールに近い)に残るベトナム難民がやってきた船が野ざらしで朽ち果てている。
ボロブドール遺跡は超小さい
 
  
ボロブドール遺跡の最上階で↑    ボロブドールi遺跡の仏像は触り放題ができまーす???
ジャワ島の中央部のジョグジャカルタ(YOGYAKARTA)特別州
 
 ジャカルタから空路、道路も鉄道も機能している。人口300万、バリ島と並ぶインドネシアの観光地がジャワ島の中央部にあるジョグジャカルタ(YOGYAKARTA)で、通称「ジョグジャ」と呼ばれる古都。北側には活火山で標高3,000メートルあるメラピ(MERAPI)山がそびえている。この町から西北に40キロに、日本と同じ大乗仏教の石造遺跡、1815年からの短期の英国統治時代にラッフルズ卿が「再発見」したボロブドゥール寺院がある。ジョグジャカルタで最大の産業はジャワバティック。何回もロウで加工される工数が多いバティック。手織り、手描きで作られたバティックのシャツは、工場付属の店でも1万円はするが、中国より安い人件費のインドネシアでこんなに高いのはなぜかと考えてしまう。
 タイなどではプランテーションで栽培する果物の王様「ドリアン」をジョグジャカルタで買ったが自然栽培されたものらしくサイズも不揃いだったが、1個2万ルピア(約300円)でうまかった。環境保全を重視しながら教育レベルも高いなど人材も多い特徴を生かした経済発展をしたいというのがジョグジャカルタの願いである。
 1945年にインドネシアが独立した時にこの地の王国がジョグジャカルタ特別州となり、その時から同州では王さま(スルタン)が知事を兼務している。現在のジャカルタ特別州知事がハメンクブオノ十世で、「3年前に父を継いで知事に就任しました。2001年からインドネシアの中央政府では地方分権を進めていますので、私の州でも今後福祉にさらに力を注ぐなど特徴を出していきたい。この州ではこれまでに1回のストライキも暴動もありません。インドネシアはイスラム教徒が多いですがイスラム教国ではありません。4月(今月)はジョグジャカルタで京都の仏教機関の会議が開催されますし、6月には世界キリスト教徒の会議もここで開催されます」と物静かなに語る。しかしビジネスには熱心で日本に最近も出かけている。
ジョグジャの知事は王様を兼務している
 知事は、「教育や訓練に力を入れているし、学生のベンチャービジネス支援にも力を入れたい。手工芸品の製造をはじめとするジョグジャの職人技術はインドネシアの他の州に比べて優れていると確信しており競争力がある。日本からは旅行関係の会社が来ているだけだが、今後はアグロビジネス(農産品加工)や電子関連の組み立て産業にぜひ進出していただきたい。手先の器用さを生かして欲しい」と期待した。工業団地などや外資優遇策などは無いジョグジャカルタだが、国際港も無いので前記のセマランにあるタンジュン・ウマス国際港が使われている。「環境を汚す恐れがある産業は誘致しない」(同知事)方針だ。
 数少ない工場のひとつがマタラム・ツンガル・ガーメント社(PT. MATARAM TUNGGAL GARMENT)で、欧米と日本に約20万着を輸出している。ミシン数は約500と大手である。1991年にこのジョグジャカルタに工場を構えたのも、「インドネシアで最も高い職人意識がある場所だから」と、同社の経営者であるロビー・クスマハルタ氏は説明する。2,500人の従業員数がある同社から日本へこれまでに約60人、マレーシアに100人の研修生を送っている。?
ボロブドゥール寺院(BOROBUDUR TEMPLE)?
 ジョグジャカルタ(YOGYAKARTA)は通称「ジョグジャ」と呼ばれ、中世ジャワの面影を残す古都である。北側には活火山で標高3,000メートルのメラピ(MERAPI)山が見える。
 この「ジョグジャ」中心部から西北に40キロのところに、1815年からの短期の英国統治時代にラッフルズ卿が「再発見」したボロブドゥール寺院(BOROBUDUR TEMPLE)がある。それまでの約1,000年以上に渡って土の下で眠っていたボロブドゥール寺院が発掘された。ボロブドゥール寺院には僧侶の姿は見かけなかったので「寺院」というべきなのか疑問だが、とにかく多くの謎にいまだに埋もれた寺院である。しかしボロブドゥールはカンボジアのアンコールワットに比べると規模は小さいが日本と同じ大乗仏教の世界最大の仏教遺跡である。1907年から4年間に渡ってオランダが修復している。さらに1973年から83年2月にかけて再度の修復がユネスコの協力で実施された。
 9世紀前後の頃にあった仏教王国の「シャイレンドラ」王が造った世界最古の仏教遺跡で100万個以上の石からでき内部まで石がぎっしりと詰まっている。遺跡の周囲は日本の援助で整備された広々とした公園になっている。
 120メートル四方あり下層から5段のピラミッド形状で高さ42メートルある。そこに計500体の仏像と壁の彫り物が残されている。地面に近い最下層が欲望の界、その上が有形の界、その上に無形の界、最上部の中央ストゥーパがそびえている。時計周りに参観することになっている。
 ボロブドゥール寺院はカンボジアにあるアンコールワット(ヒンドゥー教寺院)に比べるときわめて小規模であり、実はがっかりした。寺院の上部でもインドネシア人の若者がすぱすぱタバコを吸う人が多いし、上部のストゥーパ内部に置かれている仏像を石窓から手を差し込んで触れるとご利益があるとガイドも薦めるため、仏さまは安住されている感じではなかった。2002年2月にこの地に来た某国首相も触れてお願いしていったという。
ジョグジャカルタ付近にはジョグジャから40キロほど北西にあるボロブドゥールの他、東に10?20キロあたりには、ジャワ最古の仏教寺院であるカラサン(KALASAN)などの寺院が多数あり、観光地になっている。毘沙門天や鬼子母神が彫られているお寺もある。?
 バリ島と並ぶインドネシアの観光地がジャワ島の中央部にあるジョグジャカルタ(YOGYAKARTA)で、通称「ジョグジャ」と呼ばれる古都。北側には活火山で標高3,000メートルあるメラピ(MERAPI)山がそびえている。この町から西北に40キロに、日本と同じ大乗仏教の石造遺跡、1815年からの短期の英国統治時代にラッフルズ卿が「再発見」したボロブドゥール寺院がある。ジョグジャカルタで最大の産業はジャワバティック。何回もロウで加工される工数が多いバティック。手織り、手描きで作られたバティックのシャツは、工場付属の店でも1万円はするが、中国より安い人件費のインドネシアでこんなに高いのはなぜかと考えてしまう。
 タイなどではプランテーションで栽培する果物の王様「ドリアン」をジョグジャカルタで買ったが自然栽培されたものらしくサイズも不揃いだったが、1個2万ルピア(約300円)でうまかった。環境保全を重視しながら教育レベルも高いなど人材も多い特徴を生かした経済発展をしたいというのがジョグジャカルタの願いである。
 1945年にインドネシアが独立した時にこの地の王国がジョグジャカルタ特別州となり、その時から同州では王さま(スルタン)が知事を兼務している。現在のジャカルタ特別州知事がハメンクブオノ十世で、「3年前に父を継いで知事に就任しました。2001年からインドネシアの中央政府では地方分権を進めていますので、私の州でも今後福祉にさらに力を注ぐなど特徴を出していきたい。この州ではこれまでに1回のストライキも暴動もありません。インドネシアはイスラム教徒が多いですがイスラム教国ではありません。4月(今月)はジョグジャカルタで京都の仏教機関の会議が開催されますし、6月には世界キリスト教徒の会議もここで開催されます」と物静かなに語る。しかしビジネスには熱心で日本に最近も出かけている。
 知事は、「教育や訓練に力を入れているし、学生のベンチャービジネス支援にも力を入れたい。手工芸品の製造をはじめとするジョグジャの職人技術はインドネシアの他の州に比べて優れていると確信しており競争力がある。日本からは旅行関係の会社が来ているだけだが、今後はアグロビジネス(農産品加工)や電子関連の組み立て産業にぜひ進出していただきたい。手先の器用さを生かして欲しい」と期待した。工業団地などや外資優遇策などは無いジョグジャカルタだが、国際港も無いので前記のセマランにあるタンジュン・ウマス国際港が使われている。「環境を汚す恐れがある産業は誘致しない」(同知事)方針だ。
 数少ない工場のひとつがマタラム・ツンガル・ガーメント社(PT. MATARAM TUNGGAL GARMENT)で、欧米と日本に約20万着を輸出している。ミシン数は約500と大手である。1991年にこのジョグジャカルタに工場を構えたのも、「インドネシアで最も高い職人意識がある場所だから」と、同社の経営者であるロビー・クスマハルタ氏は説明する。2,500人の従業員数がある同社から日本へこれまでに約60人、マレーシアに100人の研修生を送っている。
バリ島〜ロンボク島〜スンバワ島の訪問記
 
スンバワ島で
 インドネシアで最も貧しい島の一つのスンバワ島は、明治時代に戻ったようでした。小さな馬車がバス代わり。しかし島の人の性格はきわめて良く、カメラや ビデオを向けると、「私も撮って」と大騒ぎ。これは観光客からカネをもらうためではないのです。貧乏でも明るいフィリピンと似ていると感じました。
 インドネシアのバリ島は、世界的な観光の島でイスラムのインドネシアでは唯一のヒンドゥー教徒90%。インドネシアのバリ島では騒動がないのですが、ロンボク島とスンバワ島はこの1−2年に何度も暴動が発生しています。ちょっと身構えながら出かけたのですが、2001年2月現在は不穏な動きはありません。ロンボク島には日本からの茶髪サーファーが目立ちます。
 スンバワ島では同じイスラムなのに島の南北で対立があります。島の北での経済に比べ南が貧しい点に対しての嫉妬があります。キリスト教徒とイスラムとの確執、イスラム過激派などの問題として暴動が発生しているかの報道が多いのですが、「経済的な格差などで他村をうらむジェラシー心に、一部の扇動が起こしているもの」というのが現地に同化した人の感想でした。
 スンバワ島で使用済みアルミ缶に薬品をかけてガスを発生させて作る面白いフーセン屋がいました。この技術がおわかりの方はお教えください。
   
KSD前古関忠雄理事長が経営したインドネシアの訓練校
 
 インドネシアのジャカルタで日本政府の対インドネシア無償資金協力事業として設立されたCEVEST(シーベスト=THE CENTER FOR VOCATIONAL EXTENSION SERVICE TRAINING)というインドネシア政府の職業訓練校を取材した。このCEVESTは1983年、鈴木善行元首相とインドネシアの当時のスドモ労相、ハルタルト工業相が出席して開所式が行われている。80年代は労働省と工業省の2省が運営していたが、90年2月からは労働省管轄になった。
 このCEVESTで訓練を終えた研修生の多くを受け入れているのは、1991年12月に労働省認可の財団法人である中小企業国際人材育成事業団(古関忠男理事長、東京都墨田区両国2-10、住友不動産両国ビル、電話03-5600-5627)で、IMMジャパン(アイム・ジャパン)の名で知られ、ジャカルタに駐在員事務所を置いている。アイム・ジャパンは1992年にインドネシアから11人の研修生を初めて日本に出し、これまでに1万2,000人を日本の1,500社(アイム・ジャパンの会員企業数)に送りだした。
 中国、香港、マレーシア、シンガポールなどアジア各地で職業訓練学校の取材をしたことがあるが、このCEVESTにおける教育現場ほど強烈な教育現場を見たことがない。参観当初は「まるで日本の旧軍隊の教育」とも感じたが、大学の応援団の合宿といった感じの方が近いと思った。体育授業では礼儀作法に加えて清掃も教えこんでいた。
 アイム・ジャパンではタイの労働・社会福祉省と組んで、2000年からタイでもタイ職業安定所を通じて日本への研修生派遣事業をスタートさせた。当初270人の応募の中から20代の45人を選んで研修を開始したものの、タイの役所内での揉め事もあって、この事業はすぐに中断してしまった。タイ人は基本的に海外に行くのは嫌いであるなど、国民性がインドネシアとはまったく異なっているので当初から難しい計画だった。
 インドネシア労働人口の約80%が中卒、16-17%が高卒、約3%が大卒。CEVESTで常時数百人の生徒が学んでいるが、全員が男性。3キロをマラソンで15分以内に走らなくてはならないといったきわめて厳しい入学試験にパスするのは5人に1人。日本語、日本の風俗、習慣、規律などを4カ月間、700時間学ぶ。案内してくれた担当者によると、「夜間でも文化などを学んでいるので自由時間はまったくない」厳しさだ
 事前研修中に態度や成績が悪ければ不合格であるため、みんな必死である。入校時からインドネシアでは家族を養えるほどの手当てが出るため、逃げたりやめたりする人は1人もいない。
 日本入国後もアイム・ジャパンの研修センターなどで4週間に渡る座学研修を経てから企業に送り込まれる。プレス加工や機械保全など機械・金属関係、空調や塗装、石材など建設関係、繊維関係、食品、家具、印刷などで評判がよく、JITCO(財団法人国際研修協力機構)からアイム・ジャパンの会員企業のインドネシア人が「外国人研修・技能実習優良者」として表彰された人が多い。50人以下の会社で3人までで個人企業でも受け入れが可能。200-300人で15人まで、301人以上は従業員の20分の1まで受け入れが可能となっている。
 このインドネシア研修生の受け入れで企業が必要な金は、入会金30万円の他、受け入れ人数には関わりなく1人につき1万円と1年目は研修期間として1人月18万円、2年目はこの月18万円に加えて技能実習期間としてさらに月70,500円、3年目は月55,500円をアイム・ジャパンに支払うが、研修手当て、往復渡航費用、研修生の保険料、事業奨励基金などだという。研修生に対してここから研修手当てとして月8万円が支給され、事業奨励基金として月1万円を積み立てる。これらに消費税はかからず、食費は本人負担で、賞与や退職金は必要がない。
インドネシアで操業する日系企業の技術訓練に取り組むJICA
 インドネシアにはジャカルタ・ジャパン・クラブ(JJC)のメンバー数で約800社の日系企業が進出しているが、内約500社がメーカー。CEVESTでは1992年からJICA(国際協力事業団)が83年の設立当初から数次にわけて工業技術・管理プログラム作成等で協力事業を進めている。現在も中村専門員(元雇用促進事業団の教師)が駐在し、各種の指導を行っているが、CEVESTの存在が知られていないことが不満である。情報処理、機械、溶接・板金といった多くの訓練コースがあるにも関わらずに利用されていないからである。そこで中村氏は、近所で操業している日系企業、丸紅系の団地の78社、住友商事系団地の72社、伊藤忠商事系団地の50社など、ジャカルタ近辺の500社の日系企業に対してCEVESTの利用をPRする活動を始めた。CEVESTは97年から指導員訓練・研究開発センター(BLIP)などと再編され、BLIP・CEIESTと名称変更している。
シンガポールより大きくなったバタム島
 
 シンガポールの沖二十キロにインドネシア領バタム島(四百十五平方キロメートル)があり、これまでに三百九十社の外資企業が操業している。最も多いのがシンガポール企業で、百八十六社が進出している。九八年、バタム島に隣接しているレンパン、ガランなどの島が六つの橋で結ばれた。これらの島の省略名で、バレラン(BARELANG)と呼ばれ、七百十五平方キロが陸上移動できる地域になった。バレランは、シンガポールの国土である六百十八平方平方キロメートルを上回っており、総延長五百キロの舗装道路で結ばれている。
 バタム島には日に平均三千四百人、月十万、年百二十万人(九九年度)もの観光客が主にシンガポール経由でやってきている。ゴルフ場も六カ所あり、プレイ料が高いシンガポールを避けて、バタム島にゴルフを楽しみに頻繁に来る人も多い。韓国の現代グループが四千メートルの滑走路に拡張、豪華なターミナルも新築、九四年にオープンしたタム空港があり、首都ジャカルタから一時間半で結ぶ航空便もほぼ満席状態が続いている。他にメダン、スラバヤとも結んでいる。また、シンガポールと三十分で結ぶフェリーが毎時就航しており、マレーシアのジョホール州を結ぶフェリーもある。
 そこでバタムに進出している外資系企業にはシンガポールに家族を置いて単身で赴任、土日にシンガポールに戻る人も多い。バタムで登録している約一千五百の外国籍就労者に対して一人に月百ドルがインドネシアの人的資源省から徴収されているが、ぞの財源はインドネシアの人材育成に使っているという。
 七〇年代初頭には人口六千人程の漁村の島だったバタムだがその後シンガポールのビジネス戦略に便乗して開発が進んだ。現在四十万人がバタム島で住民登録しているが、他に十万人程の無登録者がいるとされる。バタム島の中心的な町がナゴヤである。ナゴヤの名は日本の名古屋から来ているらしいが、その由来について島の様々な人に聞いてみたが、皆言うことが違うが、「七〇年代初頭にここにいた日本の大手商社N社の社員が名古屋出身だったから」という説明に信憑性を感じた。
大統領直属のバタム工業開発公社(BIDA)
 バタム工業開発公社(BIDA)は大統領直属機関として一九七一年に設立され、主にシンガポールと組んでバタム島の開発を進めてきた。バタムには上水道用の貯水池が六カ所にあり、WHO(世界保険機構)基準の水を供給している。「水は百万人に供給できる体制がある」とBIDAはしているが、水を大量に使う工業の投資には不向き。
 十三カ所の工業団地には事業認可手続き代行をして、即日工場稼動の可能な「ワンストッサービス」を充実させている。BIDAのイスメス・アブドゥラ(ISMETH ABDULLAH)総裁やBIDAのイクマル販売部長は、「これまでに約三十社の日系企業も問題なく操業しているが、日本からの直接投資とシンガポール等との合弁進出が半々です。中小企業向けの工場を優先している団地もあり、もっと日本企業にバタム島の最新インフラに注目して投資して欲しい」としている。
 シンガポールの沖二十キロにあるインドネシア領バタム島には三百九十社の外資企業が操業している自由貿易地域で、シンガポール企業だけでも百八十六社が進出している。大統領直属機関として七一年に設立されたバタム工業開発公社(BIDA)が、シンガポール企業と組んで開発を進めてきた。現在、付加価値税も免除されているバタム島の投資優遇制度に対し、IMFが見直しを求めている。ジャカルタの投資・国営企業庁(BPM・PBUMN)では、「バタムだけを特別扱いはできなくなる。ASEAN自由貿易地域(AFTA)の中で考えていきたい」としている。
 バタム島に十三カ所ある工業団地の中には、事業認可手続き代行等の「ワンストッサービス」を充実させているところもある。BIDAのイスメス・アブドゥラ(ISMETH ABDULLAH)総裁は「約三十社の日系企業が進出しているが日本より四〇%コストを下げている。労働問題もなく、シンガポールはフェリーでたった三十分。日本企業にもっと進出してもらって、バタムから世界市場を狙って欲しい」と期待する。
 バタム島を中心としたこのリアウ諸島はリアウ州と呼ばれる。バタム島の東隣にあるビンタン島では去る一月に工業団地にも軍隊が出動する騒動が起きた。シンガポールのゴー首相がインドネシアを訪問、さらなる経済支援を約束した直後というタイミングだった。かつて工業団地に土地を売った農民が代金の上乗せを要求して竹槍を持って騒いだので、軍も出動して押さえた。農民はワヒド大統領との会見を求め、認められないと火をつけると抗議していた。
 このような騒動を嫌気した投資企業がマレーシア等に逃げるという一部報道もあった。バタム島最大の工業団地であるバタミンド(BATAMINDO)工業団地のアンディ・ハウ(ANDY HAUW)副支配人は、「バタム島にも影響が及ぶと心配したが、影響はなく、すでに平穏さを取り戻した。他島のような政治的な動きではなく、問題の根は浅い。九七年以来、撤退した会社は一社もない」と説明する。
 バタミンド工業団地はインドネシア財閥のサリム・グループがシンガポールのセンブコープとジュロンタウンとの合弁で九一年に稼動、八十九社が進出、全体で七万人を雇用している。進出しているのは電気・電子関連が七五%ほどで、残る二五%がプラスチック、注射器、コンタクトレンズなどのメーカーである。インドネシアの政権交代などでサリム財閥に大きな影響を与えているが、「サリム・グループからは経営上の問題がない当団地に対してフルサポートの支援が続けています」(アンディ・ハウ副支配人)と説明する。
 このような騒動を嫌気した投資企業は例えばシンガポールに近いマレーシアのジョホール州などに逃げるのではないかという一部報道もあった。だが、バタム島最大の工業団地であるバタミンド(BATAMINDO)工業団地のアンディ・ハウ(ANDY HAUW)副支配人は、「騒動が発生した時に確かに仰天した。しかしこの運動はインドネシアの一部の島で見られるような政治的なものではなく、根は浅いものですでに平穏さを取り戻している。バタム島に影響が及ぶのを恐れたが、幸いまったく影響は出ていません。九七年のアジア金融危機依頼でバタムを撤退した企業はたった一社もありません」と説明している。
  バタミンド工業団地はインドネシア最大の財閥だったサリム・グループがシンガポールのセンブコープとジュロンタウンとの合弁で九一年に稼動、八十九社が進出、全体で七万人を雇用している。進出しているのは電気・電子関連が七五%ほどを占め、残る二五%がプラスチック、注射器、コンタクトレンズなどのメーカーである。インドネシアの政権交代などでサリム財閥にも大きな影響を与えているが、「サリム・グループからは経営上の問題がない当団地に対してフルサポートの支援が続けています」(アンディ・ハウ副支配人)と説明。
(アジアジャーナリスト・ 松田 健)
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