中国
 
南京東路のソフィテルから
2004年8月の北京
 
    
王府井の巨大な本屋
 
 天安門は明の時代、1420年に建造された。今日もこの天安門には毛沢東の肖像が掲げられている。1949年10月1日に毛沢東が中華人民共和国をここで宣言した。天安門の後ろは広大な紫禁城。
 天安門に向かって左側(西)に人民大会堂がある。
   
 
 北京の郊外にあり、北京から簡単に行ける世界的な観光地が万里長城(ワンリーチャンチョン)。
 2003年10月に中国の宇宙飛行士が「宇宙からは確認できなかった」と残念がったが、紀元前221年に秦の始皇帝が城壁をつないで完成させた万里長城の延長は実に6,350キロもある。
 春秋戦国時代、北から異民族が侵入するのを防ぐために各地で城壁が築かれ、統一した秦の始皇帝がこれら城壁をつないで完成させたのだが長い歴史の中で風化し、長城から石を盗んで家庭の塀を造った中国人もいたが、近年修復されている。
 北京からでは3か所の万里長城の観光用の見せ場があるが、私が行ったのは慕田(山谷)長城(ムーテイエンユーツアンチョン)。明時代の13皇帝の墓が山麓に点在する「明十三陵」からも近い。
 慕田長城に登るために、登りはトンネル内のロープウエイ、下りは運転手付のスライダーのセット(60元)払えばしんどい思いをせずに長城にたどりつける。
 上下は同じ車両を使っており、上りは一台ずつ分離されているが、頂上で下りの車両は連結され、中国人の運転手がブレーキをかけながら下る。城のあちこちではラクダや馬に観光客を乗せる商売も繁盛し、私が訪問した時には台湾の故テレサテンが歌う『北国の春』の音楽が大きな音で流れていた。
広東省龍華で「1元(14円)ショップ」発見
 
 電灯、各種ペンなど、日本で100円ショップで買えるものが中国ではたった15円かと仰天した。友人にあげたら喜ばれると考えて、この髭剃り器(上の写真)が動くことを確め、しかも1個でなく、10個入りで包装してあったのを含め計11個を買った。充電式のこの髭剃り11個全部で165円と驚異的価格。翌日、他国に行きホテルで充電して友人に配ろうとしたら、11個の内9個もが不良品で動かない。使えるのは2個で、その1個も怪しいから、結局日本の100円ショップである「ダイソー」さんに行って乾電池式を100円で買う方が得。
      
開発進む長江『崇明島』(上海市崇明県)を訪問
 
 上海から南方向へ杭州湾をまたいで浙江省寧波(ニンポウ)までを結ぶ世界最長の橋の建設が始まっている。上海北の江蘇省で長江(揚子江)の中央に位置する崇明(チョンミン)島のすぐ上流を橋で結ぶ工事も始まった。上海・浦東地区からトンネルと大橋で江蘇省を結ぶ構想が始動している。崇明島と上海・浦東地区を結ぶ計画では、揚子江の崇明島と浦東新区の北側にある宝山区に属する長興島(その隣に海に突き出た横沙島もある)を利用してトンネルで結びさらに崇明島と江蘇省賞を結ぶ計画もある。

 長江(揚子江)が東シナ海に注ぐ最終地点に近い河の中央に崇明島があり、この島は上海の多忙なビジネスを忘れさせてくれる豊かな農村などのんびりした風景に恵まれている。この島をエコツーリズムを基本にしたレジャーランドにしようという構想もある。そして同島の海側の広大な土地を上海市のトップの一族がすでに買ったとうわさされ、すでに投機が始まっており、日本人や台湾、韓国人などもこの島で投資の検討を始めた。

 20年ほど前、新聞記者として揚子江に面した宝山製鉄所の取材に出かけたとき、この大工場の前の大河である揚子江の中央部に『崇明島』という大きな島があることを知り、理由もなく「行ってみたい」と考えていた。このほど上海で取材中の休日にやっと行くことができた。中国地図にもでている大きなこの島に上海に住む中国人の友人と彼の車で出かけた。その日は晴れていたが、対岸の『崇明島』ははるかかなたで見えない。

 上海のタクシー運転手はこの崇明島出身者が多い。かつて、中国の要人が瀬戸内海を通行する機会があったとき、「日本にもまあまあ大きな川があるね」と言ったという話しを父から聞いたことがある。この揚子江上流にはこのほど三峡ダムが一部完成、貯水が始まった。また揚子江から北部の黄河まで一〇〇〇キロの北への流れを作る『南水北調』プロジェクトもすでに着工された。

宝山製鉄所の近くで発電所の隣にある石洞口というフェリーターミナルから崇明島の新河という港まで渡ったが、所要時間は一時間余で毎時の快速船も出ている。料金は車種にもよるが四十五元(一元は約十五円)であり、運転手一人分の乗船券付き。また上海市街に戻る時は、南門という港から出発した石洞口まで戻った。古い地図では他の場所からのフェリーがあるように書かれているものも見かけるが、現在は筆者が訪問したルートだけが島と上海を結んでいる。しかし江蘇省方面へは宗明島最北部と江蘇省青龍港鎮が結ばれている。これも地図に書かれていた他の場所に行こうとしたらゴミ捨て場に行ってしまった。

『崇明島』をとりまく揚子江の水は海が近いので塩分が含まれ、水の色も青や緑がかった黄色という感じ。しかし『崇明島』の土地は有史以来の揚子江が運んできた肥えた土壌であり、農家は立派で裕福そうな建物ばかりなのは、大市場である上海が同じ市内だから。島に到着するまでに島には船の修理工場のような建造物がいくつか見えたが、他は緑の林に覆われここが上海の一部だとは思えない風景であり、あちこちで羊が飼われていた。島に上陸するとすぐの場所に香港のオモチャメーカーとか健康食品などがモダンな工場を建てて数十件は進出している。『崇明島』の港の近くにはケンタッキーフライチキンが進出し地元客で大盛況だった。

 『崇明島』でのタクシーは初乗り五元と、上海の十元の半額だが、家やマンションの価格はこの数年で上海市内と変わらないまであがっている。浦東と結ばれること、また上海の有力者が土地をすでに買い占めている動きなどからすでに『崇明島』の不動産が騰貴している。

 『崇明島』の道路インフラの良さにも驚いた。島の隅々までが舗装され、四車線の広い道路も多い。木の緑が多く、島を縦横に運河が通っている。運河では魚の網 つるして時々引き上げるのだが小さな魚は『猫の餌にします』といった。浦東空港の近くでも埋め立てが進んでいるが、『崇明島』でも堤防を築きながら新たな土地を埋め立てで作り出している。崇明島に、初の空港も完成し、管制塔、ターミナルビルもできているのだが、現在は軍関係だけが使っている。

自然はあるが観光資源に乏しいため、『根宝足球基地』というサッカー場が観光客の訪問先となっています。筆者が訪問したときには二つのツアーがあり、上海近郊からの日帰りと同ホテルに一泊する上海近郊からの中国人観光客だった。宿泊者以外がこの『基地』入場に五元の入場料金が必要。上海市出身でかつて中国では著名なサッカー選手だった徐根宝氏はワールドカップで中国が優勝する日を作ることが人生の目標。上海でテレビにもたびたび登場する徐氏が経営するホテルでは簡単に同氏に会うことができる。しかし同ホテルは投資資金が回収できないようで経営は苦しそう。昨年まで貧しい子供は無料で預かってサッカーを教えてきたが今年からは予算不足でやめた。同ホテルは林に困まれ、二つのサッカー場がホテルの隣にある。

 
顧さん
 島に向かうフェリーで船の外部でお茶もできる喫茶室入場券と、そこで食べる朝食のインスタントラーメンを買うために船内の売店に行ったところ、中の女の子が上手な日本語で応対したので驚いた。そして揚子江を眺めながら友人とラーメンを食べていたら、店を閉じたのかサボったのか、さきの売店の女の子が船の後方にある喫茶室に現れ、『崇明島』の説明を日本語で始めた。顧冬柳(フォー・トンリュウ)さんというこの若い独身女性は、「日本が大好きなので日本人と見れば話しかけています」とのことで、まったく親切。

 顧さんは、「最近、島の女性の友人と一緒に大阪に観光に行ってきました。日本は昔からあこがれていました。兄が長崎県の諫早市で仕事をしていますのでそこにも行ってきました。九州の山はきれいでした」などとも話したが、上海の田舎にあたるこの島の普通の女の子のリッチさに驚かされる。 船上での顧さんの話によると、上海市のトップが購入した広大な崇明島の土地のすぐ隣が顧さんの実家。顧さんがさらにリッチになる日が近そうだ。
変貌する上海
 
 上海名物だった自転車通勤が大幅に減り、高層ビル建設で竹の足場を組む現場もほとんど見かけなくなくなった。ほぼ同時期(二〇〇一年七月)に出かけた香港や広東省ではまだ竹で足場を作っているケースがあちこちにあったが、上海では見かけない。つい最近までのアジアでは、一体型のエアコンに人気があったのは、うるさくてもクーラーを保有していることへの誇りがあった。があがあという音がしたクーラーが静かになったのはベアリングの性能が向上したため。上海でもほとんどがセパレートタイプにきりかわっている。上海で、全自動洗濯機を一台買うと、もう一台二漕式の洗濯機がプレゼントされるという販売も見かけた。
 汚職がまだ多い広東省と比べて、上海でそんな話しも聞かない。ある日系企業が一種の賄賂の話しを持ちかけたら即座に断られたなど、欧米式ビジネスとなっている。

 日本では繁華街の陰でこっそり営業している大人のオモチャの店が上海やシンセンなどであちこちに見かける。大人のオモチャは性に関する用品を販売している店である。中国当局は、性の解放についても見逃しているだけではなく、奨励しているのではないかと思えるふしがある。そうでなければ上海の一流ホテルである和平飯店の同じビル内の最も目立つ場所に大型の大人のオモチャの店が営業できるはずがない。東京の新宿などで隠れるように存在する大人のオモチャの店は上海では実に堂々としており、医師のように白衣の女性がいろいろと使い方を教えてくれるので赤面してしまう。

上海ヤオハンは当局の経営で今も操業中
蘇州の史跡内の喫茶店を占拠する地元の年配者
中国の老人は幸せそう

台湾人100万が「移住」した中国大陸
 
 中国で台湾の製造業数万社が操業しているといわれ、中国と台湾はすでに経済的には一体化している。台湾にとっては外交関係がない中国なのに、100万人の台湾人が住み、その多くが北京語を駆使してビジネスを行っている。日本企業がいかに中国で投資環境を調査したとしても、北京語が完璧で、スラングすら聞き取れる語学力がなければ調査もあまり意味がない。中国文化を深く知らなければ、中国で操業する台湾企業と対等な競争など不可能だ。

 上海に限っても、台湾人30万人ほどが住んでいるといわれ、中国の大学に通う台湾人学生も増えている。主な中国の大学に100人以上の台湾人学生が学んでいる。その多くが、中国での人脈作りのために親が派遣しているというケースが多い。日本のデパートである「そごう」は倒産したが、台湾で「そごう」デパートを合弁で経営してきた台湾の太平洋グループは、上海だけで3件の大型デパートを経営している。

 台湾の陳水扁台湾総統が去る5月18日に台北で行った総統就任1周年を目前にしたテレビ演説で、秋に予定されている上海での「APECに参加して江沢民主席と「3通」問題を話したい」と語った。年内にも中国がWTOに加入すると、(台湾も加入する)、中国大陸と台湾間が航空、航路が直行で結ばれる日が近いと台湾の多くの人は考えている。台湾当局が禁止してきた「三通」(台湾海峡間での直接の貿易、通航、通信)が認められると、従来では香港やマカオを経由していた経費が大幅に低減できる。たとえば、上海と台湾が直行便で結ばれると、これまで構えていた香港事務所なども不要となり、流通コストや人権費、マージンも減少するなど、台湾企業の中国でのビジネスがさらに威力を発揮できるようになる。

 中国が今のところ「3通」を認める段階にはないが、広東省や上海近郊などを見ていると、一体どこが共産主義なのかと思われる場面であふれている。今後、中国の民主化が進むと、台湾海峡両岸の統一への障害も無くなる。しかしすでに台湾の産業空洞化が激しく、中国大陸の上昇機運をよそに台湾の経済は南部では約5%の失業率にあるなど、経済が低迷している。

 上海だけで台湾企業4,000社もが進出、台湾系の名前のレストランもあちこちに目立っている。そして台湾人による上海でのマンションへの投資ブームも続いている。「上海ではまだまだ住宅不足だ。上海当局は過去の他のアジア各国でのバブル崩壊を分析して十分に注意している。だから上海の経済が崩壊したりしない」と言う上海人、台湾人が多い。

中国でブランド製品を開発、中国で売るイトキン
 
ユニクロの中国市場進出に先行
 世界の有名ブランド多数が進出している上海で、数万円もするファッション製品を買っているのを見ると、中国にも裕福層が増えていると実感する。上海は中国のファッションのセンターであり、韓国や台湾のアパレルの進出も増えている。

 上海には香港からジョルダーノ、THEMEといった有名ブランドも進出しているが、大阪に本社を置くイトキン(辻村章夫社長)では、「a.v.v」(アベベ)、ELLE(エレ)といったブランド製品で対抗している。上海でも良い製品を安く売る「ユニクロ現象」もあるが、イトキンとしては「良い品質のものをそこそこの値段で売る」方針。中国で作って日本で売るユニクロに対抗、イトキンが昨年から発売しているRV(革命)ブランドも健闘している。

 イトキンは、上海最大の繁華街、南京東路でも最も人通りが多い場所でデパートを構えている。この「イトキンデパート」の一階と三階の最も目立つ場所に専門店を置いている他、浦東新区にあるヤオハン・デパート、南京西路にある伊勢丹、台湾の太平洋グループの3店などにも出店している。(注:ヤオハンは日本で倒産したが、上海では従来名のまま、官営で営業が続いており、客の入りもよい)。台湾で作って台湾で販売している台湾イトキンも台北市の「南京東路」に事務所を置いている。

 イトキンは、イタリアのミラノなど欧米にも進出、アジアではタイ、シンガポール、韓国などにも進出、26の海外法人を持つ。中国では独資工場が上海、大連にある他、15ヶ所に提携工場を構え、企画開発は上海と香港が担当している。大連市には大型のファッション・デパートの建設が進んでおり、2002年にオープンする。
 上海市の松江工業区に独資工場があるが、南京東路にあるデパートのビルは中国側との合弁会社として運営している。中国での販売は、北京営業管轄下に大連、青島(チンタオ)、天津(テンシン)で販売拠点があり、トラックで北京間を輸送、北京経由で天津などに配送されている。上海から日本に輸出もしている。

 「衣服は新情報が多く含まれている製造業。新製品を発売してから2週間後にはニセモノが出回る」と説明するのは、上海伊都錦時装中心有限公司企画部の五郎宏司部長。五郎さんは、この2年間上海のイトキンで活躍しているが、上海に来るまでは香港イトキンに四年間駐在していたベテラン。香港・広東省と上海との比較を聞くにふさわしい人。

 五郎氏は、「ファッション分野では香港と上海はすでに互角だと思う。上海で開発、生産した製品を香港でも売っています。東莞など広東省の方がモノ作りの経験が多いが、コストが高くなっているので上海に生産シフトしているケースは我々の業界でも増える傾向になっている」という。

 上海中心部から車で四、五十分の松江地区あたりでは上海市中心部よりも1-2割ほど人件費が安く、月給800元ほど。江蘇省の常州市や浙江省の抗州市などではより安いという。上海にはイトキンから後藤満総経理(社長)他に日本人が七人ほど駐在している。「日本から来る企画通りに中国人だけにまかせても安心できるようになってきた」という。

 中国では衣服の素材が限られている現状にあり、綿やウールが得意。台湾の大手合繊メーカーも進出している中国がポリエステル糸の生産量ではアジア最大で、台湾と韓国が中国を追う構造になっている。ストレッチ(伸縮)素材など、付加価値が高い特殊素材生産では、中国はまだ経験不足であり、ベーシックな素材の大量生産に偏っている現状にある。

 そこで高級ファッションで売るイトキンでは、付加価値が高い素材が足りなくて悩むこともあるが、近い将来には中国は付加価値が高い素材でも台湾、韓国に追いつくと見ている。また、イトキンでは、台湾や韓国勢との付加価値競争で、真似が出来ない商品開発を急いでいる。

安徽省
 
 安徽省の省都、合肥(He Fei)空港まではジェット機で一時間足らず。上海の虹橋空港と浦東空港から毎日の便があり、片道約五百元。無錫、常州、南京の上空を飛んだ。この便で銅陵に出かけ、帰路は「新空調・軟座」を売り物にしている「特快」列車で上海に戻った。運賃は百三十五元で途中下車はできない。上海・銅陵間は八時間ほど。銅陵・南京間はゆっくり走って、南京から上海までは「快速」になった。

 安徽省の省都である合肥は日本語で「ごうひ」と発音され、三国史の古戦場。合肥空港は小さいが施設は整い、周辺道路のインフラもよいのは、中国の経済改革・開放の第一歩を踏み出したのが安徽省であることに関係している。広東省などに多数の優秀なワーカーを送り出しているのも安徽省。合肥大学出身の優秀なエンジニアに広東省であったことを思い出した。合肥では沿岸部の経済発展がここまで及んでいるのかと感じた。派手で大きなマンションが建ち、経済区も整備されている。

 安徽省合肥には日本からは建機メーカー1社だけが進出していたが、日立製作所が蕪湖市に進出し、2002年11月からエアコンの生産を開始する。

銅陵
 
 上海と銅陵は鉄道距離で438キロ。銅陵は「銅古国」と呼ばれ、精錬の歴史は3,000年にもおよぶ。
前漢の武帝が銅の採掘と精錬をはじめ、銅の貨幣もここで造られてきた。
 合肥から銅陵までは車で数時間。揚子江をまたぐ大橋を越えたら銅陵(トンリン)だった。鉄道の駅には石炭の山が見え、その先に巨大な発電所の煙突が目についた。銅陵の人口は六十七万人。安慶、銅山、獅子山、銅官山、金口嶺などの銅山がある。

市の中心部にある銅都国際大酒店という高級ホテルに泊まったが、冷たい朝食バイキングだとか、コーヒーのまずさなどでサービス改善が必要だと感じた。市の道路を横切るのは命がけであり、「決して走ってはいけない。どんな場合もゆっくり横切れば車の方で避けてくれるから大丈夫」と言われた。信号も少なく、それを守る人もいないので、車の間を縫うように道路を横切るしかない。  幹線道路は舗装されているが、裏道に入るとぬかるみである。街が埃っぽいのは、同地の特徴である細かい粒子の泥がトラックなどのタイヤに付着したまま町に入ってきて、その振り落とした泥が乾燥して空中に舞い上がる。

 公共バスはいくつかのタイプがあり、小型のもので〇・五元。床が木製のバスも多い。老人や若者の乗客の中には喫煙している者もおり、まったく悪びれた様子もない。上海では初乗り十元のタクシー代は銅陵では三元。女性運転手の多さが目立つ。
さして見学する場所もない銅陵市の人民市場では圧倒される。アヒル、ニワトリ、豚だけではなく、生まれたばかりの子犬、ハト、蛇なども食用のために販売されている。当然、残酷なシーンもあちこちに見られる。だが野菜は新鮮で安い。大きなスイカが四元ほど。野菜なら一元(15円)で、山のような量を買うことができる。まずまずの中華料理の店は数軒程度。その内二軒で食事したが、蛇、カエル、亀(すっぽん)などを食材にした料理も出た。銅陵では毎日朝から晩まで雨が降る雨期が数ヶ月間など四季に分かれ、冬には積雪も数回あるという。

銅陵の夜の娯楽はほとんどなく、夜になると市の中心部の路上には有料「輪投げ」ゲームがあちこちに開業。輪がコップなどの商品に輪を入れることができたら、それがもらえるという単純な遊び。だが、多くの大人がその輪投げに興じていた。
銅陵の市場で
 
      
慶州
 
(アジアジャーナリスト・ 松田 健)
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